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胸にあるのか

頭にあるのか

どこかにある必要があるのか

どこにもないものに馳せているのか


温めて

溶けていくような錯覚で

私はよくそれをなくしてしまう


10年前、という話題がちらっとあって思い出す機会があった。
私は自分の過去を思い出すときは、必ず秋のことを思い出す。

過ごしやすいから外で過ごした出来事が多くて、
過ごした場所は田舎だったから土が多くて、
過ごした時間のほとんどは、落ち葉を踏んでいた。

15歳の私は、新しい世界を見ていた。
それまでずり落ちることの多かった世界が、
薄い膜を通して、確実にそこに見えていた。
今までは人に見られることを恥じていたけど
これからは少し自信に溢れていて、一人の世界も
きれいなものがよく見えた。

人を支配できる立場にいると、人を支配したくなる。
支配される立場にいれば、支配されてしまう。
私はどちらにもいたくなかった。
どちらにもいたことがあった。
どちらとも、気分のいいものではなかった。

登れない階段を登れと言われることも
偶然を必然だと言わなくてはいけないことも
もうこの目には見えないと、春が来ていた。

人から好意を寄せられる、という経験をした。
それは逆に、異性に対して嫌悪感を抱くきっかけになったけれど
素直に喜ぶべきだと喜んだ。
そして、優越に浸った。
微笑んで、裏切った。
人の気持ちを遮るのは、なんて気持ちのいいことなんだろうと
正直に重んじた。
私は、明らかにそれまでの自分とは違っていた。

踏みにじった数を数えて
踏みにじられないよう過ごした。
両手からはみ出して、欲しいと思った。




それから10年が経って、私は根っこの部分では
何一つ変わっていない。
人の気持ちを動かすことの快感や
時々それができないこと、時々成功すること
それが偽善だとばれること、何度も体感した。

私、なんていう個体が、他の個体を変えてしまう。
だけど、世界は変えられない。
そこに矛盾は一切なくて、それがとても面白い。


ただくりかえしている

ただいきて

ただくちていく

ただそれが

こんなにかわりたいとおもう

わずらわしいものが

おおくなってきた
一人でいるのが楽。
ひとつ、音が聴こえるだけでいい。

二人だと何かひらめく気がする。
ふたつ、音が聴こえると何か始まる気がする。

三人寄り添えばお互いの肩を温め合える。
みっつ、思う音を出し合ってそれぞれの感じるまま過ぎていく。

四人。

五人。

そうやって支配できなくなったとき
不協和音、という結末が待っているのだろう。



ふと、自分の文章を読み直した時に思ったこと。
人は多ければ多いほど支配するのが難しい。
支配されるのが好きな私は、そろそろ眠ることにする。
話がそれた。

話、って展開していくのが面白いのであって
ずっと同じテーマを話すのは難しいし、面白くない。

メールのやりとりの中で、よく「話がそれました」という
一文を書いてくれる人がいるんだけど
私はそれた話が案外好きだったりして
物事が単一でないことを思ったりする、
読んでる私もそれているっていう。

私は澄んでいる、という言葉が似つかわしくない
どす黒い野望を持ってるし、
きれいな目で物事を見ることに
時々意味のなさを感じたりもするわけだけど
私のそんな生き方を美しい言葉で表現してくれるのなら
私の呼吸の仕方は、一度忘れかけてから
めまぐるしく発達してくれたのだろうって
思うばかり。

きっと、私がやしゅに対して持つイメージは
こんな人に愛されたいと思う理想像で
やはり彼からヒントを得ていることが多い。

私はとてもヒステリックで
病んでいる自分がかわいいと思う輩で
私、こんなに病んでるんですという
自慢をしたいがための毎日を過ごしていた。

とっくに愛想をつかした人間が多い中
彼だけは違った。
どこまで違うのか、試したこともある。
最低な試行錯誤の結果は、幸せなんて曖昧なものを掴んだ。

目線が不確かで、予感が的中しなくて
希望は正夢にならなくて
息が、できなかった。

時間を水で流し込んで
泥が噴出すように、眠った。
怠慢と笑いながら、私はいつも眠っていた。







不協和音って・・・なんだ?
私は結構言葉を知らない人で、実はカオス、という言葉も
いまいちピンとこなかったりする。

調べて意味はわかったんだけど、
私はこう、この音とこの音は合う、というお決まりなはずの音に
こう、一気に音が混ざり合うような音が関わるのを
聴いているのが好きで、昔習っていたエレクトーンでも
練習中に適当な音を出してよく遊んでいた。

私は自信を持って人と関わることはできない。
誰とも、深く付き合いたくない。
あなたの一生の責任がとれないように、
私の一生の責任をとってもらおうなんて思わない。
陰口を言われてるかもしれない、そう心の隅っこで覚悟しながら
私は結構適当にやり過ごす。

間違っていても、私がそう、直感するものだからそれでいい。
その瞬間感じたことが、本当の気持ちだといつも信じてきた。
それで人が去ってしまっても、何ひとつ後悔はないのだ。

それでもいいでしょう?
自分の吐いた言葉が
誰かを苦しませているなんてことを
気付くことなんて、そうないだろう。

最近、そんな言葉を見た。
どうにもならない世界に対しての愚痴なのか、
それは全く私の存在価値などない気がして
それと同じくらい、私のやる気は失せた。

きっとわからないだろう。
きっとそんなつもりもないだろう。
きっと君は悪くないだろう。

だけど、私を苦しめているのはきっと君だ。


実家のわんこが歩けなくなった。

おむつして、ずっと寝ている。
おしっこしちゃうと気持ち悪いのか、わーんわーんと泣く。
自分の寝てるところでおしっこしちゃうのが嫌で
必死に這って移動して、その間におむつがずれちゃって
隣りの部屋でおもらしをする。
だけど、誰も怒る気になんてならない。
頑張ったね、と言ってお母さんが片付ける。
おむつを取り替えると、気持ちよくてまた眠る。

食べたいものを食べさせてください、と医者に言われた。
すぐに下痢をするから、ドッグフードだけだったけど
カルシウムのとれるものや、興味を持ったものを食べさせる。
今まで気にも留めなかったバナナを食べたりする。

確実に死に向かっているはずなのに、つい笑ってしまう。
歩けないフリをしているようで、
心配されたいんだろう、こいつめーと言う。

犬らしくなく、誰よりもお母さんが好きで
お父さんを敬っていた。
私は一緒に成長して、
人なんかに理解されたくない気持ちを吐き出しては
彼の前で泣いた。
彼のことが嫌いだった時は、わざと散歩の時間を短くしたり
スンスン、と草花を匂う彼を引っ張っては
嫌いだ、と言い放った。
なのに、私はずっと好きだった。

もう、いいよと思う。
君が思うように毎日を生き、思うときにいなくなっていい。
私たちは泣くけれど、多分すぐに笑うことができる。
だって、面白かったもの、15年も。
だけどもう少し、私の話を聞いてくれないかな。
まだ聞いて欲しい話がいっぱいあって
これも人なんかが解ることじゃないみたい。

眠りこけて
ふと目が覚めたとき
私の顔を見て
誰だか思い出せなくても
私は悲しくはない
悲しまないから
どうかもっと私たちのそばにいて
もう勝手にやってくれ。

自分勝手で、自分が大好きな私には
形勢逆転のこの状況をどうにもできない能力が
とてつもなく苦しくて、もう投げ出したい。

この手が表現することの不十分を持て余していたとして
私はそうやって今までを過ごしてきた自負を、持たなければいけない。

考え方が人から見てどうしようもなくても
私の考えなど、誰にも関係ない、誰を動かすことも出来ない
誰も、寝苦しい夜を過ごすことなんてない。
私はこんなに、目が覚めると苦しい。

雨が落ちる場所と、落ちない場所との境が判らなくて
加速する助手席で
もう金輪際見ることのできない証拠を
いつまで経っても心残りにしていた。

あたしは、と言い出せなくて
何を言っても話を合わせているような
テンポのずれた時間を戻そうともがいている自分など
いなくなってしまえばいい。

点滅する、言葉の始まりを
何度も戻して泣いている
切り落としたはずの指を
何度も、繋げようとしている
またそうやって過ごすのか
何度も失った人の顔を思い出して
私は多分、また人を失うだろう。

なんだって人はこう面倒臭いのか。
どんなにこの意味を伝えたくても、伝わらない。
言葉しか伝えずに、その意味は相手の理解を求めるなんて。
だって、経験したことのないその言葉の意味なんてものは
経験した人にしか理解できない。

申し訳ございませんでした、としか言えない状況がある。
人の怒りを和らげるために、ひたすら、謝罪をする。
だけど、ごめんなさいや申し訳ございませんでした、なんて言葉は
子供にだって言えるんだ。
もちろん、心の中でそう思ってなくても。

言葉、というものがあって
そこに意味や感情が付随している。
国語辞典で調べた「意味」だけで解釈していたら
人とうまく繋がることなんてできない。

行動で表現することが当たり前なら
ぶん殴ってるところでも
「怒り」に関連した言葉を使って
とても丁寧に、私たちは相手に言葉を伝える。
それはとても辛い。
殴った手が痛い、なんてよく言う(ほんとに痛いんだけど)、
それくらい、怒りの言葉を伝えるのは
お互いが辛いはずなんだ。

だから、言葉は慎重に受け取る姿勢でいたい。
言い訳はしたくない。
いくら自分の意見があっても
自分の行動で傷つき怒りを伝える君がいれば
私はその言葉をそのまま、君が思う意味で受け取りたい。








何が言いたいのかよくわからない。
ものすごく自分が不愉快な気持ちでいっぱいで
私ですら、だから相当ひどいもんだ。

自分がよければそれでいいのか
自分が気持ちよければそれでいいのか
自分が満たされればそれでいいのか

そんな自分に、周りは一生振り回されなければならないのか
そんな責任、一体誰が背負いたいと思うんだ。

無責任な言葉に踊らされて、一体何が楽しいんだ。
普通でいることは、普通が何かわかってなきゃいけない。

中学の頃、「顔も性格も普通」と言われたことがあって
褒められてるのか、いじめの一種なのかよくわからなかった。
私の対応ひとつとり、「普通やなー」と
要は、面白みも、ひねりもないってことなんだろうけど、違うか。

私の経歴を語るならば、「ごく普通のありふれた」という言葉が
まさにぴったりで、驚くほど平凡な人生だ。
だけど、私にとっては普通じゃなく、かなり波乱万丈だった。
「普通」なんて言葉を、そう軽々しく人に当てはめてはいけないんだと
常々思いながら過ごした。
常々。
まるまる25年間、「普通ってなんだろう」って思いながら
人に普通だねと言われながら過ごしてきた。
もうわけがわからないのだ。
あんたの何をもって私を普通と決めるのか
どうか教えてほしい。




社会人になって、いろんな人と出会った。
人として、形成されている人。
そう思うと、学生時代なんてものは相当儚いもので
あれだけ悔しい思いや喜びを感じた月日は
本当にただの輝かしい思い出にしかならない。
教訓にすらならない。

人を愛せる人
本能をぶつける愚かで、許せない人
常に考えている人
悩むことが生き甲斐である人

私ってこんなんだ、でもこうだ
でもあれはどうだろう
でもあの人はああなってしまった
そうやって、私も考えてきた。

ようやく、このままの私でいいかなと思える頃、今の彼に出会った。
ただ、それだけのこと。
私にとっては、きちんと過程があるわけだけど
説明する気にはなれない。
説明したって、人が興味を示すことなんて
100パーセントない。

だから、否定されるのはものすごく嫌だ。
私も否定しない。
誰かの過程に興味を持ったって、そう見られることもないなら
私も誰かを否定したりしない。
人それぞれ、ってそーゆーことなのかなと思う。
とても逃げていて、深く関われない事情に対して使ってしまうけども
人それぞれなんだ。


人格が形成されたその過程を
誰だって簡単に、簡潔に見ることができれば
この世の中はきっと、色んなところで真っ二つに割れてしまって
誰とも認め合うことなんてできなくなってしまう。

つたない言葉で、でもとびきりの言葉で
自分の過程を表現して
私はこうだ、と叫んで
自己完結できるのが
私はいいな。

どんなに自分勝手だって
自分の過程を考えれば当然の選択なのに
それを他の誰かに
否定されるなんて、薄気味悪い。

嫌う人は嫌えばいい。
だって仕方がない。
君に説明したところで、君は、はなから聞く耳持っちゃいないだろう。




という、私の持論。
これを一文で言えればいいのにな。ぐう。
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