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普通でいることは、普通が何かわかってなきゃいけない。

中学の頃、「顔も性格も普通」と言われたことがあって
褒められてるのか、いじめの一種なのかよくわからなかった。
私の対応ひとつとり、「普通やなー」と
要は、面白みも、ひねりもないってことなんだろうけど、違うか。

私の経歴を語るならば、「ごく普通のありふれた」という言葉が
まさにぴったりで、驚くほど平凡な人生だ。
だけど、私にとっては普通じゃなく、かなり波乱万丈だった。
「普通」なんて言葉を、そう軽々しく人に当てはめてはいけないんだと
常々思いながら過ごした。
常々。
まるまる25年間、「普通ってなんだろう」って思いながら
人に普通だねと言われながら過ごしてきた。
もうわけがわからないのだ。
あんたの何をもって私を普通と決めるのか
どうか教えてほしい。




社会人になって、いろんな人と出会った。
人として、形成されている人。
そう思うと、学生時代なんてものは相当儚いもので
あれだけ悔しい思いや喜びを感じた月日は
本当にただの輝かしい思い出にしかならない。
教訓にすらならない。

人を愛せる人
本能をぶつける愚かで、許せない人
常に考えている人
悩むことが生き甲斐である人

私ってこんなんだ、でもこうだ
でもあれはどうだろう
でもあの人はああなってしまった
そうやって、私も考えてきた。

ようやく、このままの私でいいかなと思える頃、今の彼に出会った。
ただ、それだけのこと。
私にとっては、きちんと過程があるわけだけど
説明する気にはなれない。
説明したって、人が興味を示すことなんて
100パーセントない。

だから、否定されるのはものすごく嫌だ。
私も否定しない。
誰かの過程に興味を持ったって、そう見られることもないなら
私も誰かを否定したりしない。
人それぞれ、ってそーゆーことなのかなと思う。
とても逃げていて、深く関われない事情に対して使ってしまうけども
人それぞれなんだ。


人格が形成されたその過程を
誰だって簡単に、簡潔に見ることができれば
この世の中はきっと、色んなところで真っ二つに割れてしまって
誰とも認め合うことなんてできなくなってしまう。

つたない言葉で、でもとびきりの言葉で
自分の過程を表現して
私はこうだ、と叫んで
自己完結できるのが
私はいいな。

どんなに自分勝手だって
自分の過程を考えれば当然の選択なのに
それを他の誰かに
否定されるなんて、薄気味悪い。

嫌う人は嫌えばいい。
だって仕方がない。
君に説明したところで、君は、はなから聞く耳持っちゃいないだろう。




という、私の持論。
これを一文で言えればいいのにな。ぐう。
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(Design by 夜井)

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